think outside the box

たわいもない斜めの視点

【ナナメの夕暮れ】をみたナナメの思考

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

注※書評のようで書評ではありません。


基本的に本を選ぶ時は、その時の気分が反映される事が多いと思う。

何か新しい知見を得ようとしていたり、話題作に興味をそそられたり、本から何か一筋の光明を見出そうとしてみたり、、。

この本【ナナメの夕暮れ】からは僕は完全に共感を求めている。
姉妹作の「社会人大学人見知り学部卒業見込み」が共感の嵐だったからだ。

ダビンチのエッセイから作られているこの本は若林さんの本音と性格と今が読み取れる仕上がりだ。



この本を読んでいると人は人には言えない何かしらの生き辛さを抱えて生きていると思わされる。
なぜ自分は〜なんだろう?どうして今の現状なのだろう?
言語化する事のない矛盾の中で生きていたりする。

例えば僕は二項対立の中で生きている。

  • 目立ちたがり屋の人見知り。
  • 大雑把な心配性。
  • 自意識過剰な自信家。
  • 好奇心旺盛な慎重派etc...

矛盾は自分の中で膨れ上がり、一つ一つの質問に自分の中で答えを探していく。

その作業は何年経っても終わる事はない。新しい知識に出会ったり、新しい人と出会い話す事で自分の中の【なぜ?】はオセロのように、白になったり黒に覆ったりしていく。

普段の自分の行動や疑問が言語化されているのを見ると、人はハッとなって、まるで占い師に性格や先の未来を言い当てられた時のような、少し晴れやかな気分になったりする。

僕は一人でいるのがあまり寂しくないのだけれど、作中にこんな一文がある。

一人でいても寂しくないのは、自分と話しているからなのだ。

一人あるあるのようで、言葉にすると確かにと共感が生まれる。

上記で書いた【なぜ?】の質疑応答は自分の中で常に白熱しているからだ。




数年前に岡本太郎に熱狂していた時期があった。書籍を読み感化され、大阪まで太陽の塔を見に行った。

【自分の中に毒を持て】というシンプルな他人を気にせず自分のやりたい事を貫け!というメッセージを胸に、人見知りで気いつかいを脱却しようと試みていた。

「社会人大学人見知り学部卒業見込み」にも、この「ナナメの夕暮れにも」岡本太郎の話しがちょくちょく登場する。

この手のタイプの人間が通る道なのか、意識は高く持っている。

人は自分の持っていないものを持っている人に強烈に惹かれる時がある。
それは自分を変えたいという願望が引き寄せる、言葉にすれば憧れに近いものだ。

「社会人大学人見知り学部卒業見込み」では文中からこの憧れに近いものを感じた。
しかし、「ナナメの夕暮れ」では憧れから本来の自分を受け入れて等身大の自分を楽しむ事にシフトしているように感じる。

理想の自分に追いつこうとしているから、今日の自分を生きることはなく、常に未来の理想化された自分を生きている。だから、今日をずっと楽しめなかったんだ。今日じゃないな、今だな、もっと言えばこの一瞬を楽しく生きてこられなかったんだ。「今日の自分は本当の自分じゃない。自分というのはもっと高尚な人間なんだ」と言い訳して。

自分を受け入れるというのは諦めると同意語だと思ってた時期がある。

でも、自分というものを受け入れる事がその先の景色を見る最善の近道だし、心の軽さと同時に「気にしているから、気になる」という状態に気ずく。


歳をとるという事は、覆えようのない圧倒的な真実ではあるけど、【取り方】に関してはいく通りの道があって、肉体的なものや、童心をなくすようなものは嫌だけど、寛容さを手に入れるという年の功は少なくてもいい歳の取り方だ。


今、僕は箱根の天山温泉に来ている。
10年程前に初めて来て以来、二回目だ。
その時はなにもかもが新鮮で、ただただはしゃいでいた。
今日は全ての館内をゆっくりとみて回り、ビールを飲みながらブログを書いている。

これもまたナナメの夕暮れだ。