不変なものはない。
先日ある人のブログを読んで思ったことがある。そのブログにはハロウィンに関する事が記されていた。
僕も4年前ぐらいからハロウィンの日は仮装して飲みに行ったり、その勢いでパリピ渦巻く渋谷に繰り出したりしていた。
いい歳こいてと嘲笑われながらも覚悟の上で、自分が楽しいと思う事を尊重したかった。
実際渋谷に繰り出せばお祭りのような空気で、ただ飲みながら歩いているだけだけど、マリオのスターを取った時の様なある種何でもありの様な気分になれた。
それが今年のハロウィンが近づいてもあまりハロウィン事を口にするものは少なく、僕自身もあまりそんな気分にならない。
職場が変わった事もあり、街としてもそんな雰囲気はあまりない。
もうハロウィンブームは終わったんだと思った。
人間は飽きる生き物。時流というものは必ず変わる。
しかし31日当日、相変わらず渋谷は盛り上がっていた。
Twitterのタイムラインにもそんな画像が上がってくる。
そう、変わったのは僕だった。
僕を取り巻く周りの環境がめまぐるしく変わっている。
1年は早い。年末が近づくにつれみな口々に話す。実際早いよ1年さん。
でも、そんな1年の中でもいろんな事はめまぐるしく変わっている。
友人たちは結婚したり、地元に帰ったり海外へ移住したり。
職場が変わったり住む駅が変わったり、急に忙しくなったり、はたまた暇になったり。
去年吐き出した、楽しかったなーまた来年もやろうなーという言葉はもう遥か彼方の冥王星の方まで行ってしまっている。
遊びは山椒の様に噛めば噛むほど味が出るものと、ガムの様に噛めば噛むほど味が無くって行くものに分かれる。
仕事と同じでずっと同じステージで遊んでいても必ず飽きるし、遊びといえどもアップデートは必要になってくる。
毎年の様に同じ事を繰り返していればそれはある種、依存に近いのかもしれない。
その場を楽しむという能力に関しては僕は圧倒的な自信を持っている。
でも、事前に楽しみにすると言う能力には欠けている。
周りの環境が変わる物質的な変化と自己の内面が変わる精神的な変化は、どちらがどちらに作用するかわからない。
仕事も遊びも新しい事にめを逸らさず好奇心という芽を摘み取らない様に、日々を過ごして行きないなと改めて考えさせられるハロウィンというイベント。
そんな思いを胸に31日は自然と渋谷へ足が向いていた。