think outside the box

たわいもない斜めの視点

恥を捨てれば楽になる

恥ずかしいという感情は人の目を気にする所から始まる。
例えば家で一人でオナラしようがハナクソホジホジしようが、寒いからお風呂にお湯をためていざ入ろうとしたらガスのスイッチを押し忘れていて冷水に足が浸かって冷てぇーってなっても、誰も見ていなければ恥ずかしくはない。

僕はどちらかというと平常時は恥ずかしがりやの部類に入ると思っている。
シャイで無口なお一人様の陰気な野郎である。
だから、人の目を気にせず突発的な行動を取れる人や突然始まった大喜利みたいな無茶ぶりに最速のレスンポンスで返せる人や、夜の上野公園でペンライトを振り回しながらオタゲーを踊れる人に少なからず尊敬の念を抱く。

恥ずかしいのラインは人よって異なる。
上記のような事が全く恥ずかしくない人もいれば、靴下が裏返しなのがバレただけで死にたくなる人もいる。
その尺度は自分で設定するものなのだ。

先日に友人達との飲み会があった。出会って5.6年の付き合いで気の置けない仲間である。
僕はその日仕事が押していて、だいぶ遅れて飲み屋に到着した。着いた時にはもう仲間達はだいぶ出来上がっている。
僕が一杯二杯飲むと話題はすでにカラオケに行こうという事になっていた。
正直まだほぼ酔っていない状態でのカラオケは若干恥ずかしい。
歌を歌うのは好きなので歌う事に抵抗はないが、ノリノリでTRFEZ DO DANCEを歌えるほどにはなれない。
ほろ酔い程度でカラオケに向かった。
しかし、友人達は悪ノリで乗り切れていない僕の上半身の服を脱がし裸にさせられた。

そしてその状態で歌わされる。

しかし、そこから一曲歌えばもう何のことはない。一度恥を捨てて突き抜ければその後はどうにでもなる。
ももクロを熱唱できるとこまでいける。

恥ずかしいなんて所詮そんなものなのだ。自分が思っている恥ずかしいなんて人から見たら大したことではなく、一つネジを外せばどうにでもなる。

文字通り裸になればいいのだ。

心も体も。

持っていてもしょうがない感情は沢山ある。恥や後悔やクソみたいなプライドや寂しさや優越性や卑下や。

一つ一つ捨てていけば楽になる。