年末年始文学
年末年始の雰囲気が昔から好きだ。
年末は街の空気感も、もう少しで仕事納めというなんとなくやる気と砕けた雰囲気に満ちていていて、忘年会などで浮かれている人も多く、何処となく柔らかい印象になる。
みんながみんなそうではないと思うけど、仕事も忙しい時期にも関わらず、プライベートの予定も何かと多く余計なものを避け最少のタスクを熟すようになる。
今年ももう終わる、来年はどうなるんだろう?安堵と期待と不安に包まれる。
そして年が明け新年になると一度物事がリセットされる。
実際には何もリセットされてはいないのだが、一度視点が変わる。
やらなければ行けない事や考えている事は継続しているのだが、0ベースに思考が傾く。そして新たにやりたい事や、去年消化しきれなかったものがまた再発してくる。
初詣で神社にお参りする。今年の決意を本殿の前で唱える。今年は良い年になるだろう、いやしよう、あれ去年も同じ事言ってたな?去年はどうだったんだろう?まーいっか今年は頑張ろう。
基本的におみくじは引かないようにしている。その年の運気がその紙一つで左右されそうな気がするから。お守りも買わない。それにすがってはいけない気がするから。
仕事が始まって3日もすればまたいつもと変わらない日常だけど、お正月に何かを考え決意を固めた人と、いつもと変わらない日常で終えた人はなんとなく顔つきが違って見えて、1年間という決められて限られた時間は人によってはすごく大事で人によって至極当たり前のただの数字だったりする。
大人になればなるほど1年間という数字は膨大なものではなく、密度によって軽くも重くも変化する。結局の話それをコントロール出来るのは安倍さんでもイエスでもブッダでもなく自分自身でしかない。
年初めの選手宣誓は持続力という大きな爆弾を膝に抱えて走り出す。
継続力という不安定で安易な物言いを頭の中でリフレインする。
僅かでもあり広大でもある希望を丁寧に12月まで張り巡らせて、その間に起こるであろうミクロの事象に想像を巡らせて一喜一憂しながらたまに失望したりする。
また直ぐに訪れる師走に向けて選択のあみだくじを強引に当たりを手繰り寄せて、毎年の変わってないようで変わっている締めの日を良くやったねと知足安分出来るように。
今年も健康で。