期限を設定するのは一つのやり方《29歳の誕生日、あと一年で死のうと決めた》
29歳の誕生日、あと1年で死のうと決めた。 (オープンブックス)
- 作者: 葉山アマリ
- 出版社/メーカー: 泰文堂
- 発売日: 2011/06
- メディア: 単行本
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少し古い本だが、ある書評サイトで紹介されていて気になったので読んでみる事にした。
内容は多少ネタバレになるが、現実に何も希望を持てない女性が、29歳の誕生日に一年後の誕生日に死のうと決意する。
それは30歳の誕生日。でも、その前に一つの目標を掲げる。
それは一年間で貯めたお金全額をラスベガスのカジノに使う事。
死ぬ前にやりたい事をやるという設定は割とありがちだが、映画の《最高の人生の見つけ方》のような、元々裕福な人がやりたい事をやるのとは違い現実的に泥臭くお金を貯めて目標に近づいていく。
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2010/04/21
- メディア: Blu-ray
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そして今まで何となく人生に追われるように過ごしていた主人公が、お金を貯める為に選択した仕事で出会う人達から様々な経験を貰っていく。周りの事は気にならなくなり、目標額を達成する為に倒れながらも邁進していく。
かなりサラッと読めるし、読んだ後の気分はすこぶるいい。
僕も20代の中盤ぐらいの頃、題名は忘れてしまったが〝明日死んでもいいように日々を過ごそう〟的な本を読んで、それに感化されて明日死んでも後悔のないように1日を過ごしてみようと思いたった事がある。
初日は当然の如く朝からかなりのハイテンションで、仕事も一切手を抜かず普段あまり話さない人にも積極的に話しかけていた。
だって、明日死ぬかもしれないから。
夜も遅くまで職場に残り、仕事が終わってからもまっすぐは帰らない。スタッフを誘って飲みに行く。
家に帰ってからは読みかけの本を読む。
寝るギリギリまで何かしていた。
だって明日死ぬかもしれないから。
そんな全力な毎日を5日送った。
しかし、たったの5日で限界だった。体力の。元々そんなに体力のある方ではなく、精神力も今と比べるとまだ成熟度は弱い。完全なるオーバーワーク。
そしてある悟りを開く。
俺まだ死なない。
結果として明日死ぬかもと思うのは未来がどうなるのかが不確定であるからで、死なないかもというのもまた不確定な未来なのだ。
この本の著者の様に一年という単位で物事を設定するのであれば、ある程度の準備と算段ができる。これは日々の生活や仕事にも通じるもので、明日自分が想像する理想に今日からなろうと思って努力してもそれは到底無理な話しで、おたまじゃくしが明日カエルになろうと思ってもなれはしない。
期限を設定して逆算して今の行動を決めるのは合理的で誰もが認める正しいやり方だ。
では、それを自分に当てはめてみた時に余りしっくりこない。中長期的に物事を考えるのが苦手なのだ。やりたい事なんていつでも変わるだろうし、一週間後に何したいかもその日の気分だったりする。
だから必要なのは没頭なのだ。
仕事でも趣味でもスラムツーリズムでも女のケツ追っかけるのでもなんでもいい。
求めているのは今への没頭だ。
恥を捨てれば楽になる
恥ずかしいという感情は人の目を気にする所から始まる。
例えば家で一人でオナラしようがハナクソホジホジしようが、寒いからお風呂にお湯をためていざ入ろうとしたらガスのスイッチを押し忘れていて冷水に足が浸かって冷てぇーってなっても、誰も見ていなければ恥ずかしくはない。
僕はどちらかというと平常時は恥ずかしがりやの部類に入ると思っている。
シャイで無口なお一人様の陰気な野郎である。
だから、人の目を気にせず突発的な行動を取れる人や突然始まった大喜利みたいな無茶ぶりに最速のレスンポンスで返せる人や、夜の上野公園でペンライトを振り回しながらオタゲーを踊れる人に少なからず尊敬の念を抱く。
恥ずかしいのラインは人よって異なる。
上記のような事が全く恥ずかしくない人もいれば、靴下が裏返しなのがバレただけで死にたくなる人もいる。
その尺度は自分で設定するものなのだ。
先日に友人達との飲み会があった。出会って5.6年の付き合いで気の置けない仲間である。
僕はその日仕事が押していて、だいぶ遅れて飲み屋に到着した。着いた時にはもう仲間達はだいぶ出来上がっている。
僕が一杯二杯飲むと話題はすでにカラオケに行こうという事になっていた。
正直まだほぼ酔っていない状態でのカラオケは若干恥ずかしい。
歌を歌うのは好きなので歌う事に抵抗はないが、ノリノリでTRFのEZ DO DANCEを歌えるほどにはなれない。
ほろ酔い程度でカラオケに向かった。
しかし、友人達は悪ノリで乗り切れていない僕の上半身の服を脱がし裸にさせられた。
そしてその状態で歌わされる。
しかし、そこから一曲歌えばもう何のことはない。一度恥を捨てて突き抜ければその後はどうにでもなる。
ももクロを熱唱できるとこまでいける。
恥ずかしいなんて所詮そんなものなのだ。自分が思っている恥ずかしいなんて人から見たら大したことではなく、一つネジを外せばどうにでもなる。
文字通り裸になればいいのだ。
心も体も。
持っていてもしょうがない感情は沢山ある。恥や後悔やクソみたいなプライドや寂しさや優越性や卑下や。
一つ一つ捨てていけば楽になる。
年末年始文学
年末年始の雰囲気が昔から好きだ。
年末は街の空気感も、もう少しで仕事納めというなんとなくやる気と砕けた雰囲気に満ちていていて、忘年会などで浮かれている人も多く、何処となく柔らかい印象になる。
みんながみんなそうではないと思うけど、仕事も忙しい時期にも関わらず、プライベートの予定も何かと多く余計なものを避け最少のタスクを熟すようになる。
今年ももう終わる、来年はどうなるんだろう?安堵と期待と不安に包まれる。
そして年が明け新年になると一度物事がリセットされる。
実際には何もリセットされてはいないのだが、一度視点が変わる。
やらなければ行けない事や考えている事は継続しているのだが、0ベースに思考が傾く。そして新たにやりたい事や、去年消化しきれなかったものがまた再発してくる。
初詣で神社にお参りする。今年の決意を本殿の前で唱える。今年は良い年になるだろう、いやしよう、あれ去年も同じ事言ってたな?去年はどうだったんだろう?まーいっか今年は頑張ろう。
基本的におみくじは引かないようにしている。その年の運気がその紙一つで左右されそうな気がするから。お守りも買わない。それにすがってはいけない気がするから。
仕事が始まって3日もすればまたいつもと変わらない日常だけど、お正月に何かを考え決意を固めた人と、いつもと変わらない日常で終えた人はなんとなく顔つきが違って見えて、1年間という決められて限られた時間は人によってはすごく大事で人によって至極当たり前のただの数字だったりする。
大人になればなるほど1年間という数字は膨大なものではなく、密度によって軽くも重くも変化する。結局の話それをコントロール出来るのは安倍さんでもイエスでもブッダでもなく自分自身でしかない。
年初めの選手宣誓は持続力という大きな爆弾を膝に抱えて走り出す。
継続力という不安定で安易な物言いを頭の中でリフレインする。
僅かでもあり広大でもある希望を丁寧に12月まで張り巡らせて、その間に起こるであろうミクロの事象に想像を巡らせて一喜一憂しながらたまに失望したりする。
また直ぐに訪れる師走に向けて選択のあみだくじを強引に当たりを手繰り寄せて、毎年の変わってないようで変わっている締めの日を良くやったねと知足安分出来るように。
今年も健康で。
暇だから2017年読んだ本をまとめてみた
忘備録として2017年に読んだ本で、今思いつく面白かった本を上げてみる。(追記あるかも)
読書は暇を持て余した神々の遊び。
《社会人大学人見知り学部卒業見込み》
- オードリー若林さんの本。芸人とかの書く本はどうなのかなと舐めてたけど人見知りの僕は共感しまくりの素晴らしい出来の一冊。
《お金2.0》
- 流行りの仮想通貨やフィンテックについてだけでなくこれからのお金に対する考え方がしっかり書かれた本。勉強になります。
お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)
- 作者: 佐藤航陽
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/11/30
- メディア: 単行本
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《熔ける》
- 元大王製紙社長の懺悔録。カジノにハマって借金106億作ったぶっ飛んだ男。ある意味すげぇ。
《売春島》
- 昔、島全てで売春していたと言われる渡鹿野島のルポ。今もYouTuberなどがこの島のレポをアップしているのも見かける。
《笑いのカイブツ》
- 人生の全てを笑いに費やす男の話。狂気じみた不器用で真っ直ぐな男の笑いを超えた物語。
《 バッタを倒しにアフリカへ》
《 言葉にできるは武器になる》
- 人気コピーライターの本。この本読んでから電車とか乗ると中吊りのコピーとかを勝手に考えたりしている。
《 妻に捧げた1778話》
《 紀州のドン.ファン》
- 美女を抱く為に30億使ったおじさんの話。お金を稼ぐモチベーションはなんでもいいのかも。割とビジネス書としても読めた。
紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男 (講談社+α文庫)
- 作者: 野崎幸助
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/12/21
- メディア: 文庫
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《 投資家がお金よりも大切にしていること》
- 今話題のひふみ投信の方の本。お金は悪という日本人的な考え方を払拭してくれる。
《 フィリピンパブ嬢の社会学》
- 著者がフィリピンパブ嬢と付き合うまでの話だが、フィリピンとの文化の違いなども垣間見れて普通に面白い!
《 だから居場所が欲しかった
バンコクコールセンターで働く日本人 》
- 日本からバンコクへ渡りコールセンターで働く日本人のルポ。人には色んな生き方があると考えさせられる。
《道を継ぐ》
- 本は読んだらすぐ売ってしまうほうなのだが、この本は大切にとって置こうと思います。
なんとなく思い浮かんだ本を上げてみた。
去年はノンフィクション系のルポが多かった印象。
2018も粛々と読みます。
たまには泣くのも悪くない。
最近年をとったなーと感じる事が一つある。
基本的にまだ自分の事は全然若いと思っていて、好きな食べ物はお肉とかハンバーグとかワンタンとかだし、カラオケもまだ最近の歌もちょこちょこ歌えるし、初めて会った若い女の子に年齢聞かれたら6歳ぐらいサバ読んだりしている。
しかし、最近以上に涙脆いのだ。
先日、近くのスーパー銭湯でサウナに入っていた時の事。サウナには大体テレビが設置してある。そこでは女子高校生のサッカーの試合が放映されていた。
サッカーの事は詳しくないのでよくわからないが、たぶん野球で言うと甲子園的なものだろう。
そこで試合している学校名も知らないし、選手も知らない。なんで試合してるのかも知らないし、おまけに今でもサッカー選手といえばカズだし。
そんな状況下の中で他にやることもないので、たかだか10分位テレビを眺めていた。
しかし、そこで放映されていたのは紛れもない青春と努力と汗と涙のせめぎ合いだった。
この試合で負けたら最後の子、3年間姉妹で同じチームに所属し、この試合の後はお互い別々のチームに入る事が決まっている二人、その二人をずっと支えてきたお母さんのコメント。
どちらのチームに点が入っても複雑な気持ちになる俺の感情。
気付けば目頭が熱くなり、頬を涙が伝っていた。汗だと思った。いや、思いたかった。生粋のサイコでマッドな野郎の俺がこんな事ごときで泣く訳がない。
しかし、あれは紛れもない涙だった。
はじめてのおつかい
基本的に今はほとんどテレビは見ていない。家にあるにはあるが殆どつけてない。
しかし、先日割と早く仕事から帰り暇だったので何気なしにテレビをつけた。その時放映していたのがはじめてのおつかいだ。
明らかに泣かせにかかってるこの番組は昔はあまり好きではなかった。
出演してる芸能人がこぞって涙を流し感動を誘って視聴率上げようとする意図が感じられ過ぎて、マッド野郎な俺はハナから見下していた。
しかし、なんとなく気になってしばらく見ているとそこには親子の愛と兄妹の絆、近隣の住民の優しさ、そして普段は見えない子供の成長が映し出されていた。
これはもう最初から疑いようのない程泣いていた。涙が頬伝うLevelではなく、号泣。間違いなく泣いていた。うどんを啜りながら泣いていた。
その時の子供が呟いていたセリフが今も頭を離れない。
姉妹で買い物に出掛け重い荷物を抱えながら、子供には長い距離であろう2キロを歩いて帰っていた。
帰りは雨が降り出し、荷物を持っているのもあり体力も限界に近そうだった。
ラスト100メートルぐらいで転んでしまい、気持ちが折れかかった。
でもそこで立ち上がり、
「がんばってる方がえらいんだ」
と、自分を鼓舞して歩き始めた。この言葉は母親が何かある度言い聞かせていた言葉らしい。
そしてしっかりと自分の足でゴールした。
子供の成長というのは本当に早くて著しい。目の届かない所で色んなものを吸収しているし、考えいる。
親の背中を見て育つ。この言葉通り自分が子供に何を教え、何を見せられているかで子供の成長度合が大きく変わるのだ。
それを踏まえて自分も絶えず成長し、よい環境で育てなければと思わされた。
あ、俺子供まだいないわ。
不変なものはない。
先日ある人のブログを読んで思ったことがある。そのブログにはハロウィンに関する事が記されていた。
僕も4年前ぐらいからハロウィンの日は仮装して飲みに行ったり、その勢いでパリピ渦巻く渋谷に繰り出したりしていた。
いい歳こいてと嘲笑われながらも覚悟の上で、自分が楽しいと思う事を尊重したかった。
実際渋谷に繰り出せばお祭りのような空気で、ただ飲みながら歩いているだけだけど、マリオのスターを取った時の様なある種何でもありの様な気分になれた。
それが今年のハロウィンが近づいてもあまりハロウィン事を口にするものは少なく、僕自身もあまりそんな気分にならない。
職場が変わった事もあり、街としてもそんな雰囲気はあまりない。
もうハロウィンブームは終わったんだと思った。
人間は飽きる生き物。時流というものは必ず変わる。
しかし31日当日、相変わらず渋谷は盛り上がっていた。
Twitterのタイムラインにもそんな画像が上がってくる。
そう、変わったのは僕だった。
僕を取り巻く周りの環境がめまぐるしく変わっている。
1年は早い。年末が近づくにつれみな口々に話す。実際早いよ1年さん。
でも、そんな1年の中でもいろんな事はめまぐるしく変わっている。
友人たちは結婚したり、地元に帰ったり海外へ移住したり。
職場が変わったり住む駅が変わったり、急に忙しくなったり、はたまた暇になったり。
去年吐き出した、楽しかったなーまた来年もやろうなーという言葉はもう遥か彼方の冥王星の方まで行ってしまっている。
遊びは山椒の様に噛めば噛むほど味が出るものと、ガムの様に噛めば噛むほど味が無くって行くものに分かれる。
仕事と同じでずっと同じステージで遊んでいても必ず飽きるし、遊びといえどもアップデートは必要になってくる。
毎年の様に同じ事を繰り返していればそれはある種、依存に近いのかもしれない。
その場を楽しむという能力に関しては僕は圧倒的な自信を持っている。
でも、事前に楽しみにすると言う能力には欠けている。
周りの環境が変わる物質的な変化と自己の内面が変わる精神的な変化は、どちらがどちらに作用するかわからない。
仕事も遊びも新しい事にめを逸らさず好奇心という芽を摘み取らない様に、日々を過ごして行きないなと改めて考えさせられるハロウィンというイベント。
そんな思いを胸に31日は自然と渋谷へ足が向いていた。
直感とロジックのあいだ
前回のこの記事から数週間が経ち、やっと新居が確定しました。
来週引っ越しです。
突発的に決めた内容の中には、少なからず直感というものが働いていると思う。
なんとなく今日はこれがしたい、この時期はこれをした方がいい気がする。
逆になんとなくこれはやりたくない、やらないほうがいい。
何かをするという行動的な指針以外にも、この街や土地は好き、この電車の路線はなんとなく気分が良いなどの触覚的なものもある。
昔から人生で人が必ず体験する選択の時期、進路や就職先、暮らす場所などで迷った記憶があまりない。
そこには直感が働いていてここが良い気がする、ここは受かりそうな気がする。
あまり何も考えずに、思い付きに似た感覚で決めていた。
結果的にそれで後悔した事もあまりない。(ちょっとある)
しかし、30歳を過ぎてから迷うという事が増えてきた。
人間30年も生きていると様々な知識や経験から来る思考が混じりだす。
左脳よりの論理的思考が入りだす。
今は情報過多時代で、スマホを開けば色んな情報が目に飛び込んでくる。
基本的に情報ジャンキーなとこがあり、時間が空けば常に何かしらの情報に触れている。
今までのような、なんとなくで決めてい
た事柄をよく分析し裏とって決めるという手順になっている。
それは少なからず失敗したくないという恐れの感情や人の目という常識の概念、物事の二面性の陰の部分に焦点を当てた見方になっている気する。
「勉強の哲学」千葉雅也著によると、勉強する(知識が増える)事はノリが悪くなることと書いている。
色んな物事に関することを一度立ち止まって考える癖がつくとレスポンスが悪くなる。
いわゆる頭でっかち。
昔の無知な自分にはそういう余計な詮索がなくやりたいと思うことをやれていた気がする。
自分の中に知識が増えていくのはとても楽しい事だし、好奇心というものがなくならない限りは際限なく新しい情報は入ってくる。
そして、生きているうちはこちらも際限なく常に何かを選択していかなければならない。
細かい事を言えばその日何を着て何を食べてどこへ行って誰と会ってコーヒー何杯飲んでどこのセブンイレブン行って。
もっと大きな転職、結婚、引っ越し。
そういった日々の選択の中で日常は彩られ自分を構成している。
今のところ情報を遮断するという選択肢はない。もっと色んな事が知りたいし、色んな本に出会いたい。
でも、ロジカルな考え方をしていても直感にも従う。
右脳と左脳のやり取りをどちらかに偏るのではなく冷静なジャッジで判断していけば迷いや後悔も少なくなるはず。
これからも第一欲求に逆らわず。